1865年に発表されたメンデルの法則は、当時は重要性が全く理解されなかったが、1900年に再発見されて広い支持を得た。メンデルの遺伝子に関する説では、遺伝子は親の生活とは何の関係もなく全く変化せずに子孫に受け渡されるため、進化を否定する理論と考えられた。
突然変異は、ド・フリースによって発見された。これによって遺伝学からも遺伝子に変化を生じる可能性、つまり進化の可能性が認められた。しかしド・フリースは自然選択とは無関係に突然変異によって新しい種が生じ、生じた種の間に自然選択が起こるという跳躍説の一種である突然変異説を提唱した。
この発見は種内の個体の量的形質とその統計に関心を持っていたピアソン、ウェルドンに代表される生物測定学者と、ド・フリース、ベイトソンに代表される不連続的な変異を重視するメンデル派遺伝学者の間に激しい対立を引き起こした。
T.H.モーガンは突然変異説を確かめようとキイロショウジョウバエで実験を行った。モーガンの研究は染色体説の提唱に繋がると同時に、突然変異が直接に新種を生み出すことはまずないと考えられるようになった。そして個体に遺伝的変化を生じさせ、自然選択が働く遺伝的多様性を増加させる原因であることが判明した。
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1930年代に確立された集団遺伝学は、生物測定学とメンデル遺伝学の間の不一致、連続的形質と不連続な遺伝子という問題を一貫して説明可能であることを示した。また遺伝子頻度の変化を進化と考え、その要因の説明に努力が注がれた。
ロナルド・フィッシャーは生物統計学の統計手法と遺伝学を結び付けた。J.B.S.ホールデンは実際に野外で自然選択が働いていることを認めた。シーウォル・ライトは遺伝的浮動と適応景観の概念を提唱し、小集団における選択、浮動の効果を調べた。エルンスト・マイヤーは種分化のメカニズムを解明し、多くの種分化は地理的に隔離された個体群で起きると主張した。
こうした新たな学問分野の確立や研究の進展によって、ダーウィンの自然選択説を基本にしつつ、集団遺伝学、系統分類学、古生物学、生物地理学、生態学などの成果を取り入れて生物の形質の進化を説明することが主流になった。これを総合説(ネオダーウィニズム)と呼ぶ。
総合説に関わった生物学者は多く、唱えた説は少しずつ異なる。総合説を批判する論者は、総合説の中の特定の意見を総合説と見なして批判していることが多い。
伝統的な総合説では、生物の進化は偶然に生じる突然変異に委ねられており、自然選択は有利な突然変異が生じなければ意味をなさない。このことに納得できない研究者が、生物自身が進化の方向を決めているはずだという説を出すことが再三あった。特に、長い期間の変化を追う古生物学者などにその例が多い。そのような考えをネオ・ラマルキズムと言う。
ネオラマルキズムは獲得形質の遺伝を進化の最も重要なメカニズムと見なし、ダーウィンを批判したイギリスの作家サミュエル・バトラーや、ドイツの生物学者エルンスト・ヘッケル、アメリカの古生物学者エドワード・コープらに支持された。獲得形質の遺伝はヘッケルの反復説の一部であった。ネオラマルキズムの批判者、例えばアルフレッド・ウォレスとアウグスト・ヴァイスマンは獲得形質の遺伝の強固な証拠が一度も提示されていないと指摘した。この批判にもかかわらず、獲得形質の遺伝は19世紀後半から20世紀序盤でもっとも人気のある説のままだった。
定向進化説を唱えたアイマーがこの代表である。彼は化石の記録を見て、生物に内在する力が原因で、適応的かどうかとは無関係に一定方向に進化が起こると主張した。今西錦司の進化論にもその傾向がある。ただし後述の通り、最近の研究には今西やアイマーが予言していたと思えるような報告がされるようになっている。
アウグスト・ヴァイスマンは、19世紀後半に生殖細胞と体細胞を分け、次世代に形質を遺伝させることができるのは生殖細胞だけで、体細胞が獲得した形質は遺伝しないと主張し、獲得形質の遺伝を唱えるネオ・ラマルキズムを批判した。また、分子遺伝学的知識からも、こうした説は否定されている。